第13回パラリンピック(2008年) 北京(中国)
日本パラリンピック委員会は20日、北京五輪に続いて開催される障害者スポーツの祭典「北京パラリンピック」に出場する日本代表選手157人を発表した。 全20競技のうち、日本勢は17競技に出場。過去最高の計52個のメダル(金17、銀15、銅20)を獲得したアテネ大会を上回る好成績が期待される。 初出場となるのは女子シッティングバレー、ボッチャ、今回から正式競技に加わったボートの3競技。代表選手中、競泳の山田拓朗選手ら3人が17歳で最も若く、開幕を66歳で迎えるアーチェリーの永沼庸彦選手は歴代最年長。選手団の主将には車いすバスケットボールの京谷和幸選手(36)、旗手に陸上走り高跳びの鈴木徹選手(28)が選ばれた。右足切断の鈴木選手は「義足でも、みんなをスカッとさせるジャンプができることを証明したい」と抱負を述べた。 北京パラリンピックは9月6日から12日間開かれ、140を上回る国・地域から約4000人の障害者アスリートが参加する。
パラリンピックとは、国際パラリンピック委員会(International Paralympic Committee、略称IPC)が主催する身体障害者を対象とした世界最高峰のスポーツ競技大会。オリンピックと同じ年に同じ場所で開催される。2004年のアテネ大会から夏季オリンピックと共同の開催組織委員会が運営する。 戦争で負傷した兵士たちのリハビリとして「手術よりスポーツを」の理念で始まった。 もともと、IOCとは全く関係がなく、オリンピックとは開催地が異なっていたが、ソウルオリンピック以後、オリンピック開催後に同じ場所でパラリンピックを開催することが義務付けられるようになった。 「パラリンピック」の名称は、半身の不随(paraplegic)+オリンピック(Olympic)の造語だが、半身不随者以外も参加するようになったため、1985年から、平行(Parallel)+オリンピック(Olympic)で、「もう一つのオリンピック」と解釈することになった。 オリンピックと違いパラリンピックには障害の度合いに応じた階級が存在する。たとえば、肢体などの障害の場合は「LW」や「LC」等の競技ごとの記号+度合いを数字で表す。障害種は「運動機能障害」「脳性麻痺」「切断など」「視覚障害」「聴覚障害」がある。 シンボルカラーは赤・青・緑。 歴史 20世紀初頭から、散発的な障害者のスポーツ大会は記録されているが、パラリンピックの起源とされているのは、1948年7月28日、ロンドンオリンピック開会式と同日に、イギリスのストーク・マンデビル病院で行われたストーク・マンデビル競技大会とされる。 ストーク・マンデビル病院は、第二次世界大戦で脊髄を損傷した軍人のリハビリのための科が専門にあり、ドイツから亡命したユダヤ系医師ルードウィッヒ・グットマン(Sir Ludwig Guttmann)の提唱により、この日、車椅子の入院患者によるアーチェリー競技会が行われた。この競技会は当初、純然たる入院患者のみの競技大会であったが、毎年開催され続け、1952年には国際大会となり、第1回国際ストーク・マンデビル競技大会が開催された(参加国はイギリスとオランダの2カ国)。 1960年には、グッドマンを会長とした国際ストーク・マンデビル大会委員会が組織され、この年のオリンピックが開催されたローマで、国際ストーク・マンデビル競技大会が開催された。この大会は現在、第1回パラリンピックと呼ばれている。 第2回のパラリンピックは、1964年に、この年の夏季オリンピックが開催された東京で、国際ストーク・マンデビル競技大会との2部構成で行われた。1部が国際ストーク・マンデビル競技大会として、第2部は国際身体障害者スポーツ大会という名称で行われた。第1部は車椅子競技者の大会で、第2部はそれ以外の障害を持つ者の大会として行われたが、実際の第2部は名称に反して、日本の国内大会に近いものとなった。これらの大会は現在、両者を合わせてパラリンピック東京大会と呼ばれている。 オリンピック開催年で、オリンピック開催地で行うという伝統は、東京大会でいったん中絶した。この後の国際大会は車椅子競技者のための国際ストーク・マンデビル競技大会のみが行われていた。しかし、1976年、モントリオールオリンピックの年、国際ストーク・マンデビル競技連盟と国際身体障害者スポーツ機構との共催でトロント大会が開催され、オリンピックと同一地での開催という伝統が復活した。また、この年から冬季大会が始まった。この年からはオリンピック開催年ごとにこのような国際大会が行われている。 この間、国際オリンピック委員会は、これらの大会にオリンピック類似の名称を使うことに難色を示していたため、それぞれの大会で呼ばれていた「パラリンピック」という名称は、どれも愛称で正式名称ではなかった。しかし、1985年、国際オリンピック委員会は、パラリンピックという呼称を用いることを正式に認めた。開催時に既に「パラリンピック」と呼ばれていた大会は、この次の1988年ソウル大会からであり、この大会はオリンピック組織委員会がパラリンピックに直接かかわる初めての大会ともなった。 1989年には国際パラリンピック委員会が設立され、これ以後、継続した大会運営が行われるようになった。国際パラリンピック委員会の本部は、ドイツのボンにおかれている。 2000年のシドニーオリンピック時にIOCとIPCとの間で正式に協定が結ばれた。オリンピック開催都市でオリンピックに続いてパラリンピックを行う。IPCからのIOC委員を選出する。これらのことが両者間で約束された。